親切か不親切か
梅雨のせいかムシムシして参りました。暑いようななんともいえんムシムシ感…しかし、エアコンは使わないです。エアコンの風より外の風のほうが気持ちがいいです。なんというかまずもっての理由は電気代であります。決して根性とかそうゆうのでないので、よろしくお願い致します。
さて、よく練習をする時間やら、練習は何時間したらいいですか、とかどれくらいの頻度でやってますか…なんて質問がどこにおいてもあるはずです。
大抵の人は月水金で二時間くらい…とか親切に教えてくれます。そうでないと不親切だと人が離れてしまう危険性を孕みますので…。
僕の師は、『練習は別にしなくていいよ』と答えます。これこのとおりです。しなくていいです。したけりゃするで、したくなけりゃしないんです。んな事は自分で判断すればいい話ですし、しなくてもいいんです。色々意味を含んでますが、とりあえずこれが答えられる限界のような気がします。とりあえず、決めこんだようなものはありません、全てにおいて。己がすべき事であると思われます。
言ってくれる事が、すごく親切には見えますが。僕はそうは思いません。レールがあれば、それしか走れないのです。親切に見えるだけか本当に親切なのか、不親切が本当に不親切なのか…そこは見切る眼、眼力に似たものだと思います。
自らの底から、心底から望むその働きが重要であります。
言われた事だけやってればいいケースも当然ありますが、状況が状況であります。まさに、それとこれとは違う、というものであります。
聞いてみて回答がそれなら、イライラしてすぐ怒る人なら罵詈雑言吐いてしまうかもしれません。でも、それは結果怒ってしまったので仕方ありません。勝手に怒られてもこちらは対処しようがありません。そしてこちらは何も困りません。何故なら結果気に食わなかったから怒られた、これだけです。『あぁ、そうですか、すいません』としか言えないです。
目的というか、心底から湧き上がるものがあるなら、それを理解しようと、少しずつ少しずつ、そして一歩ずつ踏み出そうとするはずなのです。
もし、そうゆうきっかけが出来たならそれだけで幸いです。
今はとても親切な方々が多いようであります。果たしてそれが、本当に大きくみて親切なのか、不親切なのか、そういった事も重要になると思われます。