《四国心意練習会》

初めまして初心者です。乱文ご容赦下さい。
戴氏心意拳を練習しているものです。
今は一人で練習していますが、人を集めたい状況であります。
心意や、色々思うまま何かあげていきたいと思います。興味あったらみてください。初めてなのでゆる〜い感じで、リラックスしながらやっていきます(^^)

寝る前に戯言を…

型にはまる、という事があります。

型にはまる、そのまんまです。型にはまっているのです。

形式とか、そうゆうものであります。その形をやっていればいいというような感じです。

形をやるのは大事です。何故なら、導入段階では、何でもどうやっても形あるものから入ります。先輩にこうだああだと教えられますが、これは有形…つまりは出来上がった形をしているわけです。目に見えて形というのもありますが、形、ビジョンのような脳内で見るような形なき形のような形もあるわけです。その形をずっとやっていれば、なんら問題もないのでしょうが…その本質、それに至る経緯やそういった中身が重要になります。形はやはり形でしかないのです。どうやっても、やはり形なのです。何故そうなったのか…と、いうことはこうゆうことなのだろうか…?とか。自らそういった問答、トライ&エラーを繰り返すのはとても大事な事だといえます。仕事だけに限りはありません。全てに言えるのではないかと思われます。

武術においても同じです。術と呼ばれる所以、型にはまりすぎては、諸所に対応しかねます。要するに中身が大事なのです。形だと、形しか出ないのです。それしか出てこない。

人が、あらゆる動物よりも獲得してきたのは、二足歩行で歩き出し、脳を発達させ、社会性を築き上げてきた事です。非常に非力であるのに、何故、獰猛な動物を捕らえる事ができるのか?

知識や知恵を用いる事が出来るのです。この世に存在する法則や、思考し、何かを体現出来たりするからなのでしょう、力だけではない事を、先人達が示しています。

頭を使えとよく教わりました。これは非常にシンプルですが、難しい事だと思います。人は霊長類の長であります。

形だけでは、なんというか…そのままの生き物が生きていくためのその流れに乗るだけのように思うのです。

ダメではありません。絶対的という事は存在しません。しかし、有形から無形に至るというのは、ほんとに職人のような、時間のかかる事でもあると思います。

時間はかかる、手間はかけたくない、簡単でわかりやすいのがいい…というのもわかります。が、理論やそういった事から逃げるのは、非常にもったいない。時間感覚も非常に重要なのです。ただ、難しく難しく考えるのももったいない。この辺りの妙が非常に難しいのです。

でも、何事も考えて、考えて、努力をしろ!常に全力!というのでもありません。別に必要なければ必要ないのです。常に全力!という方も多いのでしょうが…毎日全力ならすぐに死んでいます。死んでないなら全力ではないのでしょう。演じてるだけなのかもしれません。

…それは置いといて…なんしか、浅いところだけでは、生きるだけというような感じになると思えます。今の世が割と生きやすい環境にあるとはいえますが、常識とか、形あるルールとかそうゆうものだけで生きていくのは、もったいないというか…理を理解したくなくても、こうゆう世になっている経緯を理解して、先祖に感謝をして…ありがたみを持つというのも大事なのだと思います。そうでもしないと、老いゆく時間とのにらめっこでありますので…。

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