《四国心意練習会》

初めまして初心者です。乱文ご容赦下さい。
戴氏心意拳を練習しているものです。
今は一人で練習していますが、人を集めたい状況であります。
心意や、色々思うまま何かあげていきたいと思います。興味あったらみてください。初めてなのでゆる〜い感じで、リラックスしながらやっていきます(^^)

駄文ですいません…

よく最強の格闘技とは!とか、異種格闘技とか、そういった史上最高を決めるといったような番組や、そういった気の書籍等々あります。

何かがトップで、競り合うような世の中でもありますし、そうゆうNo.1をとかく人は欲しがります。観客も湧きますし、楽しいものです。楽しいものには人はたくさん集まります。羨ましいものです…。

さて、何かを始めるには何か目的があります。よくあるのに、強くなりたいとか、強くなって見返したいとか…動機としては十分だといえるでしょう。きっかけがないと動けません。何か目的を自分に課さないと人は動かないものです。

では、強くなるとはなんなんでしょうか?身体だけでしょうか?それとも精神でしょうか?

動機としては十分ですが、理由としては曖昧です。

子どもに強くなって欲しいから、礼儀を身につけさせたいといって、空手やらなんやらを習わせる方もおられます。

子は強くなりたいと願ってるのでしょうか?

礼儀は親では教えきれないのでしょうか?

強くなってどうなりたいのでしょうか?具体的にどう強くなりたいのか、こうゆう具体性は重要かと思われます。ダメではないのですが、詳しいものがないと、辛くなってきます。

最強の話に戻りますが、では、最強とはなにを持って最強と判断されるのでしょうか?打ちのめして、相手を立てないくらいに追い詰めれば良いのでしょうか?そもそも、叩きのめすのは何の理由からそうなるのでしょう?異種戦などは、ルールや技術がまるで違うのに、なにをもって判断するのでしょうか?勝ち、負けで強さ、弱さが決まるのでしょうか?勝敗が色んな事において、判断の基準になっていますが、あくまで、結果です。全てをそれで断定などもったいなくはないでしょうか…

生と死の中で、武術は生まれています。単に勝ち負けとかの世界ではなく、生きるか死ぬかの世界です。生き死にに順位や順列もありません。

最も優れているといってしまえば、そうなっちゃうのでしょうが、完結して良いというものではないような気がします。

俺が、私が最強だ!という方がいれば、その人は最強なのでしょう。本人がそうなのだから。まぁ、ある意味これくらいの自信も欲しいところではありますが…

単に強くなるというより、なんというか、過程のようなものが大事に思います。計画性というか、大筋、流れのような順序立てたものが必要になってくるかと思います。

やはり、基本や基礎から順を追わないと、全てに置いてうまくいかないように思います。

また、絶対にとか、必ずとかいった気持ちを奮い立たせるものもありますが、そういった気持ちも素晴らしいと思います。が、基本的に弱者が強者と渡り合えるようになるのも、術と冠する所以でありますので、絶対にが、自分を痛めつけてしまう要素も孕んでおります。心や思いは己でうまく付き合って、合わせていかないといけないと思われます。

ちなみに僕も当然弱者です。弱者故に、それをどうにかしようという事ができるんです。俺は強いんだって人はそれはそれで良いのです。臆病でもいいと思います。臆病なら臆病で、人をよく見れたりします。危ない事はしないので、危機を回避できます。それは素晴らしいと思うのです。

…つらつらとごちゃごちゃになったような気がしますので…つまり、別に強いとかそうゆう人はそれでいいのですが、かといって弱くても構わないのです。一番怖いのが、何もしないという事だと思われます。変わらないというのが、法則というか、あらゆる事からもあり得ないような気がします。これでいいんだ…といってしまえば、それはそうなってしまいますが、自己完結してしまうと終わってしまいます。心と意は動きを与えます。なにもでかいことをやるのではなく、ちょっとした事でも動きを与えます。こうゆう一歩踏み出すというのは、非常に怖く、恐ろしいものですが…なにも飛び込まなくていいので、一歩ずつ着実に歩いて行けることが重要だと思われます。

絶対No.1で、競り続ける世界も重要な場合もあるかとおもいますが、力を抜き、心身をリラックスしながら…というのも非常に大事かと思います。


駄文失礼致しました…

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