《四国心意練習会》

初めまして初心者です。乱文ご容赦下さい。
戴氏心意拳を練習しているものです。
今は一人で練習していますが、人を集めたい状況であります。
心意や、色々思うまま何かあげていきたいと思います。興味あったらみてください。初めてなのでゆる〜い感じで、リラックスしながらやっていきます(^^)

親切か不親切か

梅雨のせいかムシムシして参りました。暑いようななんともいえんムシムシ感…しかし、エアコンは使わないです。エアコンの風より外の風のほうが気持ちがいいです。なんというかまずもっての理由は電気代であります。決して根性とかそうゆうのでないので、よろしくお願い致します。


さて、よく練習をする時間やら、練習は何時間したらいいですか、とかどれくらいの頻度でやってますか…なんて質問がどこにおいてもあるはずです。

大抵の人は月水金で二時間くらい…とか親切に教えてくれます。そうでないと不親切だと人が離れてしまう危険性を孕みますので…。

僕の師は、『練習は別にしなくていいよ』と答えます。これこのとおりです。しなくていいです。したけりゃするで、したくなけりゃしないんです。んな事は自分で判断すればいい話ですし、しなくてもいいんです。色々意味を含んでますが、とりあえずこれが答えられる限界のような気がします。とりあえず、決めこんだようなものはありません、全てにおいて。己がすべき事であると思われます。

言ってくれる事が、すごく親切には見えますが。僕はそうは思いません。レールがあれば、それしか走れないのです。親切に見えるだけか本当に親切なのか、不親切が本当に不親切なのか…そこは見切る眼、眼力に似たものだと思います。

自らの底から、心底から望むその働きが重要であります。

言われた事だけやってればいいケースも当然ありますが、状況が状況であります。まさに、それとこれとは違う、というものであります。

聞いてみて回答がそれなら、イライラしてすぐ怒る人なら罵詈雑言吐いてしまうかもしれません。でも、それは結果怒ってしまったので仕方ありません。勝手に怒られてもこちらは対処しようがありません。そしてこちらは何も困りません。何故なら結果気に食わなかったから怒られた、これだけです。『あぁ、そうですか、すいません』としか言えないです。

目的というか、心底から湧き上がるものがあるなら、それを理解しようと、少しずつ少しずつ、そして一歩ずつ踏み出そうとするはずなのです。

もし、そうゆうきっかけが出来たならそれだけで幸いです。


今はとても親切な方々が多いようであります。果たしてそれが、本当に大きくみて親切なのか、不親切なのか、そういった事も重要になると思われます。

修行

武術武術といいますが、これはこれここに限ったものではありません。区切ってしまえばそれだけのものになります。武術に限らずとも、そういったものはよくあると思います。それだけをやってりゃそれができると思いきや、そうでもないんです。他方を見ることで、何か得る場合もあります。

それだけで事がすんなり済むという方もいます。それはそれでいいんですが、それではもったいないのです。

武術においては、例えば教えられた動きだけやってても、やってるだけで出来るようになるのは程遠く、それだけになってしまいます。それではまずいのです。単に刺すような動きでも、刺しにいくためには様々な相手の動きもあるわけです。というか、状況や、その状態やらやる前の事がたくさんあるわけです。建物の形状やら、近くには何か武器になるものがあるやら…まず、そうゆう武力闘争の状態になる前にどうやればうまくやり過ごせるか、大切な人がいればどうするのか、その前にまず何かあれば、動くだけの自分の勇気があるのかどうか…そういった事がたくさんあります。単に型をやってれば強くなって、さらに強くなった気でいるのがものすごく怖い事のように思われます。

キレた人間は動きがものすごく単純になります。引いてかますハードパンチをぶちかまそうとします。それをさせるにはもうすでに間が詰まっています。ここをどうするのか…とか。色々あるように思います。

正義ぶって、ケンカしてる人の仲裁に入ろうとしたが返り討ちなんて事もあります。人と自分を理解してなかったらそうなる事もあるように思われます。

要するに、一度修行するという身になれば、常にそういった状態になる、そして、一箇所に限った事では到底できない事なのです。

楽しくもあるし、体力的なものではない苦しさのようなものもあります。

そして、自分のパートナーとなる人も理解してくれる人がいいです。理解してもらえないと、そうやってる仕草だけでも不快に思われます。趣味程度で理解してもらって、あー、やってるねー!ぐらいのもので分かってもらえれば、これほどありがたい事はありません。理解させるのも、理解してもらうのも、これまた術でもあります。

間違っても殴って蹴って分からせるというのはナンセンスです。痛いとかかわいそうとかもありますが、なんしか、殴って分からせるというのは、なんの労もいらないし、簡単に支配出来てしまうので、あまり経験にもなりません。かえって、相手の殺意等を増幅しかねない、飼い猫に手を噛まれるような状態になりかねない事もあるように思われます。

時間をかけるということはこうゆう事にも深く繋がるように思われます。

時間

何にしても、時間は全てを支配します。時間は絶対者であります。この時間を制すことはおそらくないように思います。

この時間感覚がないと非常に何をするのも、なんというか辛いものになります。すぐにしたい、すぐに出来上がりたい、ワンタッチですぐやりたい…確かに今の時代、そうゆうのが非常に多く、便利でもあります。しかし、そういったのは本当にこれ、と決まっているようなものです。それをやればそうなると、プロトコルのようになっています。しかし、こと武術などにおいてはそういったのは難しいものと思われます。できたのなら出来たで良いのですが…。自分で出来たといってもそれはそれなんです…。

簡単には出来ないものではありません。複雑にするから簡単にならないんですが、簡単にしようと、それをしようとするのが非常に難しいのです。

しかし、簡単にシンプルにしないとなかなか使えません。簡単にしようとすると難しく、難しくしようとすれば簡単には出来ない。

すると時間が経つ。焦る。早くしたいとどんどん考える。考えるが考えるたびにどんどん出なくなる…という感じになり、ある意味地獄のようなものです。

こういった内側の働きは自分で越えなければいけません。誰も教えてはくれません。教えてくれるのは、教えられる事項だけです。教えようったって教えられないんですからどうにもなりません。

それを、逃げてこれでいい!なんて自己完結したら最悪です。そこで全て終了します。完結から先はありません。そこで終了します。本人がいいなら全然いいんですが。

なんでもかんでも教えてくださいというのは、実は己をダメにしていきます。その教えられた通りなのですが、それだけなのです。それだけならそれだけなんです。わからないならわからないで大丈夫です。わからないのはわからないんですからわからないんです。

見て盗めという事があります。見て盗み取るのは非常に難しいです。でもそのかわり、試行錯誤し、自得しようとします。失敗すればまたやればいいんです。

使えねぇな、バカだな、お前はダメだな…なんて言われるかもしれませんが、言わせりゃいいんです。言いたい奴にはずっと言わせてればいいんです。どうしてもそれが言いたいんだから仕方ない。

使える人材を育てる、量産するのはおそらくもうレールがあるはずなんで、それで出来上がります。大概それをやればそうなるように組まれているはずです。そうゆう世界はそうゆう世界です。

自らが得たい事は、自分で出来るとこまで研究なりなんなりするのが大事だと思われます。


まぁなんというか、一番大事なのは根本となる己の心や思いであるように思います。思考を変えたり、それしか見てないと結局それしか見えず、一生苦しむか、辞めるかなどになります。

そういった内側は自分が自由にできるんです。


とりあえずごちゃごちゃしてきたので、一度離脱致します。