《四国心意練習会》

初めまして初心者です。乱文ご容赦下さい。
戴氏心意拳を練習しているものです。
今は一人で練習していますが、人を集めたい状況であります。
心意や、色々思うまま何かあげていきたいと思います。興味あったらみてください。初めてなのでゆる〜い感じで、リラックスしながらやっていきます(^^)

合間に

練習会といいつつも、なかなか人は集まらず…ガチガチのなんとか道場のように礼節を!とかそうゆうのは全くないです。段位制なんかもありません。必要ないので…。ピピっと来た方はよろしくお願いします。

段位制は何々道といったのによく見ます。それはそれでいいのです。

しかし、武術は段位や階級のように、わけた所で必要ないのです。

生きていくための術に、階級や段位のような上下は必要ないと思われます。

何段だから、その人がどれだけできるかというような事にはならないと思われます。金で買える段だってあります。どうなんでしょうか?

前にも書いたように思いますが、その段で、強いという事も、何をどう強いのか?力が単に強いのか?何か技術が突出しているのか?…などあります。

それに見合う方だっています。その道をずっとやってきて、その道での強さというか、それの段に見合う人だっている事でしょう。

しかし、ずっとやってればすごいというのでもないと思われます。それは単に、年代的に上に上がっているだけという可能性もあるわけです。

俺はやってる、できている、となった気でいるのが、一番恐るべき事なのでありますが…。

声をいくら出して気迫をだしても、声は声です。できるできないとかいう判断にはなり兼ねるのでは、と思われます。

数を数えて、一定の回数をやることもありません。疲れたら休んだらいいのです。

はちきれんばかりの筋肉もいりません。普段動ける筋肉があれば問題ないです。そうゆうムキムキの動きではありません。

ただ、時間はかかります。これはもう時間感覚的なものもいると思われます。決まったこれをこう…というのではないので時間はかかります。

当然教えてはくれます。教えてくれますが、自得するのは自分です。この部分は非常に難しい所であります。

ここの表現は難しいので省きます。とりあえず、時間はかかります。

まったり、リラックスできる事がとても大事です。

あと、武術に限らず、それだけをずっとずっと見ていても、余計ドツボにはまりやすくなるかと思います。

大きく、そして小さく…という働きも重要であります。


…そして、僕はそろそろ仕事に戻ります…。

駄文ご覧いただきありがとうございます。

寝る前に戯言を…

型にはまる、という事があります。

型にはまる、そのまんまです。型にはまっているのです。

形式とか、そうゆうものであります。その形をやっていればいいというような感じです。

形をやるのは大事です。何故なら、導入段階では、何でもどうやっても形あるものから入ります。先輩にこうだああだと教えられますが、これは有形…つまりは出来上がった形をしているわけです。目に見えて形というのもありますが、形、ビジョンのような脳内で見るような形なき形のような形もあるわけです。その形をずっとやっていれば、なんら問題もないのでしょうが…その本質、それに至る経緯やそういった中身が重要になります。形はやはり形でしかないのです。どうやっても、やはり形なのです。何故そうなったのか…と、いうことはこうゆうことなのだろうか…?とか。自らそういった問答、トライ&エラーを繰り返すのはとても大事な事だといえます。仕事だけに限りはありません。全てに言えるのではないかと思われます。

武術においても同じです。術と呼ばれる所以、型にはまりすぎては、諸所に対応しかねます。要するに中身が大事なのです。形だと、形しか出ないのです。それしか出てこない。

人が、あらゆる動物よりも獲得してきたのは、二足歩行で歩き出し、脳を発達させ、社会性を築き上げてきた事です。非常に非力であるのに、何故、獰猛な動物を捕らえる事ができるのか?

知識や知恵を用いる事が出来るのです。この世に存在する法則や、思考し、何かを体現出来たりするからなのでしょう、力だけではない事を、先人達が示しています。

頭を使えとよく教わりました。これは非常にシンプルですが、難しい事だと思います。人は霊長類の長であります。

形だけでは、なんというか…そのままの生き物が生きていくためのその流れに乗るだけのように思うのです。

ダメではありません。絶対的という事は存在しません。しかし、有形から無形に至るというのは、ほんとに職人のような、時間のかかる事でもあると思います。

時間はかかる、手間はかけたくない、簡単でわかりやすいのがいい…というのもわかります。が、理論やそういった事から逃げるのは、非常にもったいない。時間感覚も非常に重要なのです。ただ、難しく難しく考えるのももったいない。この辺りの妙が非常に難しいのです。

でも、何事も考えて、考えて、努力をしろ!常に全力!というのでもありません。別に必要なければ必要ないのです。常に全力!という方も多いのでしょうが…毎日全力ならすぐに死んでいます。死んでないなら全力ではないのでしょう。演じてるだけなのかもしれません。

…それは置いといて…なんしか、浅いところだけでは、生きるだけというような感じになると思えます。今の世が割と生きやすい環境にあるとはいえますが、常識とか、形あるルールとかそうゆうものだけで生きていくのは、もったいないというか…理を理解したくなくても、こうゆう世になっている経緯を理解して、先祖に感謝をして…ありがたみを持つというのも大事なのだと思います。そうでもしないと、老いゆく時間とのにらめっこでありますので…。

過程

よく護身術や、そういったもので、こうきたらこう、とかこの状態であれば、こう、こうすれば結果このようになる…など、色々あります。護身術に限らずとも様々な場面であるかと思います。そうゆうことなので、そうゆう事なのでしょう。ここはいったんこれを置いておきます。


ある状況で、暗い夜道を歩く女の人が、誰かにつけられてる気がしています。だんだんと間を詰めていますが、姿が見えない。徐々に詰まり、身の危険を感じるほどに気配を感じる。十分に接近されて振り向いた…その時、護身術がそのまま炸裂!金的を蹴り上げ、犯人は悶絶。頭を踏みつけ謝んなさい!といって、つけていた人間はヒィー!となって逃げていった…。

まぁ、これは単に作った話ですが、そうあるもんじゃないですが、ないわけでもないでしょう。見事撃退!出来ればいいですが。

でも、これは極めて稀なケースだと思われます。

まず接近するのに、徐々に詰めてきている。明らかに狙いを定めています。指向しているわけです。走ってうおー!と近づく人もいるのかもしれませんが、そうそういないはずです。

そして、身の危険を感じるほどに気配を感じています。足音や、着ている服のかすれる音なども十分に聞き取れるのでしょう、つけている人の間合いに入っている、もしくは一歩で十分接近、密着できる。そして、女の人は背後を取られています。回転し、違う方向に向くにも、時間がかかります。首だけ向けようものなら対処しようがありませんし、視界が変わります。消えていたらもうすでに…という事もあり得なくはありません。

そして、夜道。人気のないところです。叫べばいいとありますが、叫んだらどうなるのでしょうか。逃げる人もいるかもしれませんが、殺意があれば、逆上して刺しにくる場合もあり得ます。斬るのではなく、刺しにくるから怖いのもあります。携帯しやすいナイフは隠す事もできます。ニュースで見てると、大抵は包丁が多いですが、ほとんど刺しています。切ってどうにかなるのは、食材くらいでしょう。

そして、靴。ハイヒールなどならよろめいたら終わりです。ハイヒールは元々暗器とかいう話も聞きますが…まず、そんな状態で蹴るという行動ができるのでしょうか?

全てにおいて、まず、動けるのかどうかという所が重要かと思われます。恐怖や、頭が真っ白になって、動きを出せるのか?

護身術をやっているように、こう来たらこう…と、ばっちりそれが練習どうりできるのか?というかそんな状況はぴったりとはまるように起き得るのか、というような事が生起致します。

なんというか、すっとんで結果にいっている感があります。

実際それで護身したんだという方がいればそれはそうなのでしょう。しかし、必ず、撃退したに至るまでの経緯、過程があるはずなのです。


手首を極める、とあるも、その手首をとるまでにどうやれば手首をとる事ができるのか。そして、ひねる事ができるのか?手だけをひねればクルッと倒れてくれるのは、練習仲間だけです。

スタンガンを当てる。カバンからすぐ出せるんでしょうか。まずそれが当たるのでしょうか…諸々あります。


こういった結果だけを見せる、宣伝するというのは割とどこでもあるように思います。

一ヶ月でマイナス10キロ!とか…肌年齢が3日でマイナス5歳肌…とか…色んな事が色々満載なような気がします。

しかし、本人がそれで幸せならそれは素晴らしい事です。それはそれでいいのですが。


という感じで、駄文ですが失礼いたしました。